
「……そんな簡単に言わないでくれる?」
「そうだね。そんな簡単に、美股户口 誰にでも甘えられるようになったら困るしね」
「何それ、どういう意味?」
「だから、僕が困るっていう話」
「意味がわからないんだけど」
久我さんはいつだって自分の気持ちに正直に行動するくせに、たまにこうやって回りくどい言い方をするから厄介だ。
「君って、そんなに鈍いタイプだった?まぁ、いいか」
そう言って久我さんは、トイレに行くために席を立った。
すると、すぐにマスターの近藤さんが私の前にやって来た。
まるで私が一人になるタイミングを見計らっていたようだ。
「次、何飲む?希望があれば、メニューにないものも作るよ」
「じゃあ……もう一杯ミモザで」
久我さんの友人の店に来て正解だった。
彼が作るカクテルは、本当に一口だけでもその美味しさがわかってしまう。
「相当、久我に気に入られてるんだね」
「え?いや、そういうわけでは……」
「アイツ、結構わかりやすくアプローチしてると思うけど。そう思わない?」
「……私に?」
「他に誰もいないよ」
思わず、私に?と聞いてしまったのは、それだけ信じられなかったからだ。
つい最近まで、久我さんは依織に恋をしていた。
私が彼の眼中にないことは、自分でもよくわかっていた。
まさか久我さんが、私に好意を抱くはずがない。「それは違いますよ。だって久我さん、ついこの間まで好きな人いたから」
「え、そうなの?」
「そう。でも残念ながら、うまくいかなかったんですけどね。だから、今はそっとしてあげて下さい」
近藤さんは本当に何も知らなかったのだろう。
少し驚きながらも、理解し納得してくれた。
「そっか、じゃあ俺の勘違いだったか」
「そうですよ。適当なこと言わないで下さい」
軽く睨むように見上げると、近藤さんは申し訳なさそうに笑いながら言葉を続けた。
「けど、実際久我がここに女性を連れてきたのは、本当に初めてなんだよ。それに、あんなに他人に自分の話をする久我も、初めて見た」
「え……」
「アイツ、基本は秘密主義だから。昔からアイツのことはよく知ってるけど、血液型は俺も今日初めて知ったよ」
「私たちの会話、全部聞いてたんですか?」
「うん、ごめんね。久我がどんな風に女性を口説くのか興味があって」
まぁ、こんなに狭い店内でしかもカウンター席だから、話を聞かれていても当然だと思うし仕方ない。
確かに今日は、久我さんの方から自分の話を沢山してくれた。
だから私も、同じように自分の話を彼にした。
楽しいと思う反面、こんなにも自分の話をしてくれる人だったのだと驚きもした。
いつも二人で飲むときは、どちらかというと久我さんが聞き役で私が仕事の愚痴などを話すことが多い。
でも今日は、少し違った。
だからといって、久我さんが私を口説こうとしているとは思えない。
もしかしたら、初恋が叶わなかった私のことを元気づけようとしてくれているのかもしれない。するとそこで、席を外していた久我さんが戻ってきた。
「何の話?」
「……別に、何でもない」
久我さんの友人が変な勘違いをしているようだ、とは敢えて言わなかった。
「そろそろ、帰ろうか」
「え?あぁ……そうね」
腕時計を見ると、既に終電間際の時間になっていた。
何時間この店に滞在していたのだろう。
時間を気にすることさえ忘れてしまっていたことに、今更気付く。
「じゃあ、また来るよ」
「次もぜひ、二人でおいで」
この店の飲食代は私が出そうと思っていたのに、久我さんはいつの間にか会計を済ませてしまっていた。
結局、奢られてばかりだ。
まだ終電に間に合いそうなため、店を出た後は二人で最寄りの地下鉄の駅に向かった。
「あのお店、凄く良かった。かなり気に入っちゃった」
「そう、気に入ってもらえたなら良かった」
「あそこなら一人でも入りやすいし、今度は仕事帰りに一人で行こうかな」
一人でお酒を飲みに行くことは好きだけれど、美味しいと評判の店に詳しいわけではない。
だからこそ、今回教えてくれた久我さんには感謝だ。
「一人で行くのは、やめた方がいいんじゃない?」
「え、どうして?」
「君が一人であの店にいたら、絶対に男に声掛けられるだろうから」
「そんなことないでしょ」
万が一、知らない男に声を掛けられても無視すればいい。
最初から相手にしなければ、意外としつこくされないものだ。「もっと警戒した方がいいよ。出会いを求めている男は、どこにでもいるから。特にああいう店に一人でいる女性には、男も声掛けやすいだろうしね」
「……ご忠告どうも」
そんな話をしている内に、すすきの駅に到着した。
私と久我さんは地下鉄に乗る方向が違うため、この改札で解散だ。
「今日は、ごちそうさまでした。一人で飲むよりも、楽しかった」
「僕も楽しかったよ」
久我さんを誘って、良かった。
やっぱり話を聞いてもらえると、心がスッキリする。
また明日から仕事も頑張れそうだ。
「次は、いつにしようか」
「え?」
「出張から戻ってきたら、すぐに連絡していい?」
「……」
「いいって言われなくても、するけど」
ざわつく夜のすすきのの改札。
周りの声がうるさいくらいに聞こえてくるはずなのに、久我さんのその言葉がやけにクリアに耳に届いた。
「また二人で飲みに行こう。だから、それまであの店には一人で行かないように」
「……ん、わかった」
私が素直に返事をすると、久我さんは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ……私、行くね」
「帰り、気を付けて」
私は振り向くことなく彼に背中を向け、小走りで改札口を抜けた。
「……何これ……」
胸の奥が、ドッドッドッとうるさく鳴り響く。
久我さんの笑顔を見た瞬間から、何かがおかしい。
それは、依織を好きだったときの胸の高鳴りと少し似ているような気がした。
違う。
これは絶対に恋じゃない。
今まで男性を好きになったことなど、一度もないのだから。
……絶対に、好きじゃない。